kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

この町を愛した詩人-北原白秋


おはようございます。

先週、私の父母と姉がこの町に来て、市内をあちこち歩きました。
その中で、この町にゆかりの詩人・歌人である北原白秋の歌碑と、記念館を訪ねたのでした。

資料を見ていたら、この町の人たちへ、白秋が残した言葉が書かれており、心を打たれるものがありました。
なんだかものすごい力を放っていて、心を捕えられてしまい、どうしてももう一度読みたくなって、昨日レッスンのあとにまた、立ち寄ったのでした。


「大正二年一月二日私は海を越えてその町に行った。死のうと思ったのである。
恐ろしい心の嵐が凡ての優しい表情を無残にも吹き散らしてしまった。
私は海を見た。ただ波ばかりうねっていた。
山には紅の椿がさいていた。
私はあきらめきれなかった、どんなに突きつめても死ねなかった。
死ぬにはあまりにも空が温かく日光があまりにもまぶしかった。
「失樂」 大正二年二月号

ただ一人帽子かぶらず足袋穿かず桜の御所をさまよいて泣く」


大正二年一月、27歳、傷心の白秋がこの地を訪れたときの言葉です。
その後白秋は同年5月から約九ヶ月の間この地に滞在し、数々の歌を残します。


「本集は大正二年五月より翌三年に至る、
・・・に於ける私のささやかな生活の所産である。
この約九ヶ月間の田園生活は、極めて短日月であったが、
私にとっては私の一生涯中最も重要なる一転機を画したものだと自信する。
初めて心霊が蘇り、新生是より創った。
これらの歌が全く自分のものであり、私の信念が又、真実に自分の心の
底から燦めき出したものに相違ないということは、自分ながらただ有難く感謝している。
自分を救うものは矢張り自分自身である。

滴るものは日のしずく 静かにたまる目の涙

大正四年八月 
「雲母集」余言より」


この町には、人を癒す不思議な力があります。


「ほんとうの言葉」は、時を経ても心深くに響いてきて、「つながっている」という感覚を覚えさせますね。
「音」も同じだと思う。


↓ひっそりと佇む白秋の歌碑。

↓紫陽花がきれいに咲いていました。



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