kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

グリモーのチケットが届いた!

こんにちは♪


お友達が送ってくださったエレーヌ・グリモーのコンサートチケット、今日、我が家に届きました!

「秋にグリモーが来ますよ。」とお友達が教えてくれて、「行きた〜い!!」と思いまして…。
それで、行くことに決めたのでした。


平日なので、仕事を早退して行くことになるのですが。
でもたまには、ピアノを理由に仕事をさぼってもいいよね〜、と…。ダメかな?
まあ、何かあれば、行けなくなる可能性はありますけど。


お目当ては、ブラームスのピアノ協奏曲第1番。


ず〜っと前に、このブログで紹介した、彼女の自伝「野生のしらべ」。
その中でブラームスの作品について、こんなふうに書かれているんです;
「なにかが自分のために書かれている、そのなかには自分の感動の揺らぎに正確に対応しているという感覚・・・、なにか自分と近いもの、自分のために作られているものという意味での、信じられないような親近感・・・」


ブラームスのピアノ協奏曲第1番のことも、何度か出てくるんです;
「この決定的な喪失感を最初に抱き、どうしても泣きやめられずに泣き続けたのは、ブラームスの『ピアノ協奏曲第1番』を初めてコンサートで弾いたあとだった。それはカタルシスをもたらす濃密な涙であり、自分を自分自身のもっとも深いところに根づかせる、澄み切った長く熱い涙だった。・・・私は額を窓のガラスにつけ、泣いて、泣いて、泣いた。」
「・・・ある種の演奏家にとってはほとんどからだの一部のようになる作品もある。たとえば私にとってのブラームスの『ピアノ協奏曲第1番』がそうだ。」


本の中にも書かれているように、彼女の根底にある、渇望、というようなもの。
彼女の中の欲求、魂のなにか。満たされぬもの。
彼女は狼と出会って、彼女の中にバランスを見つけたのでした。


この本、今回読み返してみて、最後のところがすごく感動したので、ここに載せておきます。
「私が受け取るもっとも美しい報酬は、私が子どもたちを自分自身の一部―狼である一部―と触れあわせたとき、子どもたちが見せる歓びだ。それは自由を選ぶ自由、足を踏みはずす自由、自分がもつ唯一無二のもののなかで自らを選び、選択することを許す自由だ。・・・私が子どもたちに伝えたいもの?狼が大地を、魚が大洋を所有するように、小鳥が空を、神々が火を所有するように、人間も自分の元素(エレメント)、第5の元素、私たちが決してそこから除外されることのない元素を見つけなければならないということだ。芸術がこの元素なのであり、芸術がなければ、私たちは一生のあいだ、不幸な孤児のまま、さまよい続けなければならない。芸術がなければ、私たちは自らを自然と宇宙から切り離す。なぜならば私たちは無感覚になり、感受性を失うからだ。」


・・・ということで、当日、楽しみにしています♪


↓チケットと、封筒に貼ってあったハイジの可愛らしい切手。


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