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kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

不協和音の心地よさ。

こんにちは~♪

今日は、下町のお祭りなんですが、めずらしく「雨」です。
例年、「祭りの熱気で梅雨が吹き飛ばされる」と言い、梅雨が明けて快晴のことが多いのですが。


先日も書きました、モンポウ「ひそやかな音楽」の第Ⅱ曲、なんですが。
弾いていて、不協和音、特に最後の小節の音が、なんとも不協和で、しかし何とも言えぬ「快感」みたいなものが・・・。
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それまでくりかえし出てくる音程ですが、この最後の2つの和音だけ、低音「ミ」を残すことを要求して書かれていると思うんですが。
私、和声のことよく分からないけれど、この「ミ」が加わることで、なんかものすごく、何とも言えない感覚になる…。

しかし、モンポウplaysモンポウのCDを聴いてみたら、モンポウ自身は最後「ミ」を残して弾いてなかったです。
でも、…残したい気がする。


ところでこの曲。先日、「コロニア・グエル教会のイメージ」と書きましたけれども、調べてみたら、Paul Valeryというフランスの作家の"Les pas"(歩み)という詩への前奏曲として書かれたのだそう。たしかに楽譜にも、この詩が一部引用されていました。
以下、その"Les pas"(歩み)の日本語訳;

お前の歩みが 我が沈黙の子どもたちよ
厳かに また緩やかに床を踏んで
用心深いわたしの寝床の方へと
静かに 冷ややかな音をたてて近づいてくる

清浄なる人 神聖な影
控えめなお前の足音の何と優しいことよ!
神々よ!わたしの探し当てた宝物が
裸の足に乗ってわたしのところに来る!

もしもお前が 唇を差し延べ
我が想念に住まう者どもの
心をなだめてやろうがために
接吻を贈ろうと思ったにしても

その愛の行為を急ぐには及ばない
お前の存在にも非存在にも快楽が伴う
わたしはお前を待つために生きてきたのだし
わたしの心はお前の歩みに過ぎないのだから


・・・う~ん、何を言おうとしているのか、さっぱり分からん。

この日本語訳をブログに書かれていた方のコメントでは、「ここで触れられている『歩み』とは、何か実態を伴ったものの足音ではあるまい。それはヴァレリーの内部にある想念が、外部に形をとって現れたものなのだろう。」


まあなんというか、何かしら、とにかくやはり内部の深いところのもの、ってことなんでしょう。
モンポウの演奏を聴くと、なんとなく確かに、この詩の意味が、分かるような気がする。
そうなると、付点の扱いが、だいじなのかなと思いました。



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