kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

「草枕」・雲の中のお花畑・帰省

こんばんは♪

夏休み。北岳に登って、実家に帰ってきました。
写真を整理しながら、楽しかった今年の夏休みを振り返っています。


今年の夏休みは、夏目漱石の「草枕」を読みながら過ごしました。

「山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。」

「越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。」

詩のような、小さなポートレートの集まりのような、素敵な小説。


南アルプス北岳は、ご存知の通り、日本で2番目に高い山。
標高差があって「キツい」というイメージが先行してましたが、登ってみると、それよりも山の美しさ、高山植物の多さ、景色の素晴らしさに圧倒されました。


特に印象的だったのは、北岳「肩の小屋」から、歩いて数十分ほどの水場への道。
午後でしたので、ガスがかかった(つまり「雲の中」の)景色だったわけなんですが。
一面の、お花畑。

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(写真だと伝わらないと思うので、残念なのですが…)
あまりの美しさに、これが夢なのか、現実なのか、分からなくなってしまったくらい。
なんとも言えない、幸せな気分。今までに味わったことのない気持ち。浄福感、というのか。

「死んだらこんな世界に行くのかな。」とダンナが言うので、「ああ、そうに違いない。」と思い、こんな世界に行けるのなら死ぬのも悪くないな、などと考えていたら、もう、生きているのだか、死んでいるのか、分からなくなるくらい。

花の美しさに惹かれて、あちらの世界に迷い込んでしまいそうな…。
ああそういえば、西行は、花に憧れ、身も心も地上から一寸浮いて、その先の死を詠んだのだった、その心境ってまさにこんな感じなんだろうか?と、思った。


しかし、そんな素敵な夢のような時間も、ずっと続くわけではないのですよね。
たぶんもう二度と、同じ経験はできない。同じ時間は、戻らない。
あの幸福な満たされた感覚を、心に留めておきたい、と思うけれど、見たもの・感じたものを、全くそのままに残しておくことは、できない。


なんだか「音楽」みたいだな、と思いました。
だからこそこの一回の経験が、すごく貴重で、尊い。



下山した翌日から、浜松の実家に帰りました。
今回はめずらしく、2泊しました。いつも1泊だけで慌てて帰ってくる感じだったから。

2日目の夜には、父母と兄姉だけでなく、伯父や伯母も誘って、我が家で「手巻き寿司パーティー」。
今年84歳になる伯父も、伯母も、上機嫌。みんなでたくさん食べて飲んでしゃべって笑いました。

しかし皆で過ごした時間が、楽しければ楽しいほど、別れがつらいものです。
次、いつ会えるのか。
次会う時には、またみんな、一段老いていくのです。
離れて暮らす私は、何もしてあげることができない。

この楽しいひと時も。


草枕」の中で、漱石が引用したシェレーの雲雀の詩が、心に沁みるお年頃です…。
「・・・腹からの、笑いといえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」



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