kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

この土地とつなぐもの。

今月は、「自由になる時間」があります。

今日は、ある小説の舞台となった「浜」を歩いてきました。
新田次郎が、この浜の保養所に滞在中に書いたという、少年向けの小説。
歩きながらいろんな風景を見ていると、小説の中の世界と、現実の世界が、ごっちゃになって、不思議な気持ちになります…。

この町は、本当に不思議な町です。
「現実」と「空想の世界」、あるいは「この世」と「あの世」の、「境目」みたいな、不思議な町です。

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先週は、ダンナの母方のご先祖様の法事があって、浅草に行ってきました。
ダンナの母方の実家が、この町だということで、私たちはこの町に暮らすことになったわけですが。
しかしそもそもダンナの母方のご先祖様は、東京の人です。

お寺を訪ねてお参りをしたときに、義母がそのご先祖様のことをいろいろ話してくれました。
もとは名家の次男だったようですが、大学のボート部在学中によくこの土地を訪れるようになって、この町を気に入ったのがはじまりだったとか。
…それで結局、妻になった人と、要するに「かけおち」をして、この土地に住むようになったらしい。
義母いわく、いわゆる「放蕩息子」だったんだ、と。


港で栄えたこの町で、ある事業で一時はかなりの財を成したのだそう。
しかし若くして脳溢血で倒れ、その後は酒におぼれ、成した財もすべて酒に消えていったのだとか…。
「斜陽」だ、と思いました。

しかし心根のやさしい、いい人たちだったようで、以前紹介した画家のK氏(このご先祖様の甥にあたる)も、この家が好きで、よく遊びに来ていたのだそう。
K氏の遺した、このご先祖様夫妻の肖像を、見せてもらいました。


27歳、傷心の北原白秋も、この町を訪れた。
これも以前書きましたけれども、「死のうと思って」この町に来たのです。しかし彼はその後、立ち直って、この町を離れ、数々の名作を残した。
「死ぬにはあまりにも空が温かく日光があまりにもまぶしかった。」


私たちは、そのご先祖様のご縁によって、この土地に暮らすようになり、この先も、この土地で生きていくことになります。

新居の工事も着々と進んでおり、ピアノ室となる予定の「土間」も、その姿を現しつつあります…。

現実には日々の慌ただしい仕事に揉まれておりますが、そんなふうにこれからも、この土地と、いろんなものとのつながりを感じつつ、ここで生きていくのだな~と思う、今日この頃なのでした。


↓ピアノ室となる予定の「土間」。
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