kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

選挙に行った。

こんにちは♪

今日は、選挙に行ってきました。

「どこの政党に入れるか?」って、とてもムズカシイ問題でありますけれども…。
自分がその真っ只中で日々あくせく働いている、「超高齢化」「高齢者の医療・介護・福祉」に関して言えば、昨今の政策による牽引には凄まじいものがあります。
たぶん…、日本人がもともと持っていた「助け合う、支え合う」という良い面が十分に発揮されれば、この問題に関しては、「なんとかなる」だろうと思います。少なくとも、自分がはたらいているこの地域に関しては、最近はそのような実感を持てるようになってきました。

しかし気がかりは、「これからの世代」のこと。


…いろいろな問題を考えたときに、最近よく思い出すのは、「開放系」「閉鎖系」という言葉。
この言葉。私が以前、ある精神科病院の認知症病棟で研修していたときに、毎週そこにいらしていた大井玄先生から教えていただいた言葉。

大井玄先生は、東大名誉教授、元国立環境研究所所長。東大医学部卒業後、ハーバードで公衆衛生を学び、その後長野県の佐久で高齢者の在宅診療にかかわり認知症に関心を寄せられるようになった方。認知症生命倫理、終末期医療に関する著書多数、です。

その精神科病院には毎週来られて、病棟の認知症患者さんひとりひとりに話しかけられていました。が、それがなんと、それぞれの患者さんの「出身地の方言」で話しかけるというものすごい技を持っておられて、「どひゃ~!!」と思ったのでした。
…「出身地の言葉」で話しかけられると、いつも口も心も閉ざしていた認知症患者さんが、生き生きと、話し始めるのですよ。

とてもお優しくて、穏やかで、大好きな先生でした。


で、話は戻りますが、「開放系」「閉鎖系」という言葉。
「開放系」とは、開拓期アメリカのように、資源と領土が無限に広がっている状態のこと。
「閉鎖系」とは、日本のように資源も領土も限られている状態のこと。


「ヒトは、歴史的にその生活・文化・環境へ適応しながら、自己観や生存戦略意識としての倫理意識を形成してきた。狭く貧しい〈閉鎖系〉で譲り合い助け合う生存をつうじて、典型的日本人のつながりの自己観と〈関係志向〉の倫理意識が作られた。広漠たる〈開放系〉で競争し、闘いながら欲望追求の自由をつうじて、アトムのようなアメリカ人の自己観と〈個人志向〉の倫理意識が形成されてきた」。開放系(資源と領土が無限にひろがっている状態)としての古代ギリシアから開拓期アメリカ、閉鎖系(資源も領土も限られている状態)としての古代日本から江戸時代へと文明史をたどりながら、自立自尊の「アトム的自己」によって富の分極化を加速させるグローバリズムから、「つながりの自己」によって他者や環境へ配慮する来るべき倫理への転換を模索する。
・・・以上、本の紹介からそのまま引用してしまいましたが。


新興国が経済的にどんどん成長するなかで、この「地球」、世界全体を「閉鎖系」と考えるべき時代になってきているんだと思います。
環境問題然り。経済の問題も。

あたらしい価値観が必要なんだと思います。

でもそれは、この限られた国土・限られた資源の中で生きてきた私たち日本人にとっては、長い歴史の中で自然に培われ昔から持っていたものなのかもしれない。


10年越しですが、この本↓読んでみようと、思っているのでした。