kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

理想と現実の狭間で…


こんにちは♪


先週、レッスンでスケルツォ2番をみていただいているときに先生から、「自分の理想とする演奏のイメージを持っていますか?」と訊かれ、や、あんまり、持ってないな〜、と思ったと書きましたが。
「理想とする演奏のイメージ」をしっかり持ったうえで、じゃあ自分の演奏には何が足りないのか、技術的にはどこが問題なのか、そういうところを埋めていく練習をしなさい、と。


「理想とする演奏」って、考えてみたけれど、でもいつも私、最終的にその曲がどう弾けるかって、そのときになってみないと分からない感じだなあ〜、と思って…。


ピアニストの方々の演奏をあれこれ聴いてみて、ああ、こんなふうに弾けたらステキだな〜、とは思うけど。
でも現実、自分にはそんなふうには弾けない(そもそもあんなに速く弾けない)とか思っちゃうし。


つまりですね、どう弾けるか、っていうのは、「自分の身体」が持ってるものによると思うんですよ。
音色とかテンポ感とかも。どういうのが出てくるかって、自分にも分からない。練習していったときにどういうのが出てくるか、ってことで…。
でもかといってそんなこと言ってたら、いつまでたっても「成り行き任せ」でダメなんじゃないの?と思って…。


それで今日、たまたま、ある本を読んでいたらこんなこと↓が書かれていて、「ああ、そうか。」と思ったんです。
「イメージは何かひとつの決まったものではなく、練習を通して生まれ成長するのです。イメージはいつも流動的です。練習ではたとえ最終的なものでなくても、今の段階で得られるのであれば、その形を受け入れていいでしょう。少し時間が経てばそれもまた変化して、もっといい形になっていくからです。」

…なるほど〜。


だからつまり、「理想とする演奏」って、一足飛びに「最終形」をイメージしなくても、いいわけですよね・・。
今、自分が持っているものより、「一歩先」をイメージできればいいのかな、と。
自分が持っているもので、あと少し求めていけば、出しうるカタチ。
先生も、「はずしてもいいから、『こう弾きたい』と思うものを100%出して、弾いてみて。」と仰っていたのは、つまりそういうことなのかな〜と。

そういうのをくりかえしていって、本番までに、どういうところに自分が辿りつけるのか、ってことなわけですよね。


↓この本です。


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