kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

子ども時代のピアノのこと

こんにちは♪
今日は、特に用事もなく、家でピアノ弾いたり本を読んだりしています。


この間、実家に帰ったときにピアノの楽譜をあさっていたら、「ツェルニー30番練習曲」と「こどものバッハ」(←インベンションの前に導入で使った本)というのが出てきました。


↑なつかしの黄帯。


そしたらそこに、ピアノの先生の字で、「あ」とか(←次は暗譜してきてね、の意味。笑)、「長調dur、短調mool、CDEFGAH…」とか書かれていて、懐かしくなってしまった。
そして楽譜の最後のページに、「ツェルニー30番練習曲」は「平成1.10.28完」、「こどものバッハ」は「1.10.14完」と、これまた先生の字で書かれておりまして。
…そっか〜、平成元年ってことは、私、中学1年生ですよ。
私、ピアノ始めたのも遅かったけど、進みも遅かったのね…。


それで子どもの頃のピアノの先生のこと、また思い出したりして。
ずーっと前にも書きましたけど、私のピアノの先生、「ピアノの先生」であるにもかかわらず、とにかく私にピアノを、やめさせたがる人だったんです。笑


それで中学2年の終わりに、「高校受験だからもうピアノはやめなさい」と言われ、泣く泣くやめました。
でも高校生になったらどうしてもまた習いたくて、「趣味程度でいいので、どうかまた習わせてください。」と懇願し、習わせてもらったのでした。
そして高校2年の終わりに、「大学受験だから、今度こそ本当にピアノはやめなさい」と言われ、「そうですね…」ということで、本当にやめたのでした。


そこから10年以上のブランクがあり、現在に至る。というわけです。


あの頃は、気持ちのどこかで、「ピアノはあまり弾いてはいけないもの」っていうのが、あった気がします。
親も特に、私にピアノを習わせたかったわけではなさそうだし…。
ピアノは大好きだけど、どこか遠くの厳しい先生のところにまで習いに行って…、なんて勇気も子供ながらになかったし。


たぶん、その反動が、今来ているんだと思います。笑


ピアノに時間を費やすことに、今も後ろめたさがないわけではないけれど。
でもかなり、吹っ切れてしまっていますね…。


しかし子どもが習うのと、この年になって習うのとでは、上達のペースも習得できるものも全く違いますけれども。
でも自分の人生に、ピアノがあったこと、これからもあること。それ自体が、幸せだな〜と、思います。



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