kokodamのピアノ日記 vol.5

海と森が見える家に住み、ピアノを弾いています。日々思うこと、感じたことなど、綴っていきます。

レナードの朝


こんばんは。
ブログにもどってきました、kokodamです。


みなさま、お元気でしたか?
私は元気です。
仕事の方も、いろんなことが、うごいてきています。


先日、あるピアノ好きの神経内科Dr.とおしゃべりしていて、オリヴァー・サックス著「ミュージコフィリア〜音楽嗜好症 脳神経科医と音楽に憑かれた人々」という本のことを思い出しました。


その「序章」。
ショーペンハウアーの言葉が引用されています;
「とてもわかりやすく、それでいて何とも不可解な、言いようのない音楽の深みは、音楽が私たちの最も内側にある感情をすべて再現しているのに、リアリティがまったくなく、痛みからはかけ離れている・・・という事実に起因する。音楽は人生とそこで起こる出来事の真髄のみを表現し、決してそれ自体を表現するのではない。」


オリヴァー・サックス自身は、音楽のことを次のように言っています;
「しかしながら、それには思想がなく、何の提案もしない。姿もシンボルも言語的な要素もない。説明する力もない。世界と関係があるともかぎらない。」



オリヴァー・サックスといえば、ご存知の方も多いかと思いますが、映画「レナードの朝」の原作者で、神経科医。
原作は嗜眠性脳炎の患者20名に、当時開発されたばかりの新薬L-ドーパを投与し、覚醒させたという記述。映画ではフィクションとして描かれており、ロビン・ウィリアムズ演じる「セイヤー医師」が、赴任した神経専門病院で患者たちに回復の可能性を見出し、L−ドーパを投与することを考える、という設定です。

ロバート・デ・ニーロ演じる「レナード」と、他の患者たち。手足を自らの意志で動かすことも、言葉を話すこともできず、無感動、無反応。その患者たちにL−ドーパを使い、そして、覚醒させます。
レナードは30年ぶりに目覚め、世界に感動する。患者たちは生きる幸せを噛みしめる・・・。


しかしやがて、薬の効果は薄れ、患者たちは全て、元の状態に戻ってしまいます。
切ない物語。



セイヤー医師が、診療を終え、家に帰ってピアノを弾くシーンがあり、印象的です。
シューマンの謝肉祭の、「オイゼビウス」を弾いていました。


また、目覚めて若い女性に出会い、恋をしたレナードが、薬の効果が薄れ再び病状が悪化していく中、女性とダンスをするシーンがあります。
そこで流れるピアノの音が、せつない。




・・・なんだか、とりとめもない話になってしまいましたが。

私もまた、日々ピアノを弾き、少しずつブログを綴っていきたいと思います。



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